火曜会(26期 2016年春)
火曜会(26期 2016年春)の予定です。
活動紹介としてご覧ください。
記載の活動は既に終了しています。また予定通り行われたわけではありません。
第26期火曜会
(2016年春開始)
同志社大学烏丸キャンパス志高館SK201
15時より
冨山
Ⅰはじめに
毎年正月に、『みすず』の「読書アンケート」を書くことが習慣になっています。今年書いた文章は以下のようなものです。第25期の火曜会で取り上げて文章なども入っています。
唱和とイカサマが言葉の場所を奪っていく中で、審議ということの重要性を感じ続けた一年だった。また代表性が政治になる根幹は、そこに審議性が常態として抱え込まれることにあるという確信も、より強くなった。審議は正しさの伝道でも、賛同をかき集めることでもない。「いいね!」ではだめなのだ。審議では、まずもって自分の言葉が宙づりになることが求められる。人と出会うのはこの時だ。その時はじめて言葉は連累するのだろう。だが用意された部屋には既に審議はなく、そこにいかに審議性を持ちこむのかということが、問われ続けた一年だった。またこうした問いが映し出す時代の姿は、饒舌な伝道や唱和のなかで言葉が奪われ、問答無用の暴力が支配し始める状況なのかもしれない。
1936年に「委員会の論理」を公にし、同年新聞『土曜日』を刊行し、その翌年に京都府警により治安維持法で検挙された中井正一の文章を、昨年は繰り返し読んだ(中井正一『美と集団の論理』久野収編、中央公論社)。昔読んだ時には読みとることができなかった「委員会の論理」をとりまく時代の空気が、今と共震しているのを強く感じる。そしてそれは、嫌な感じである。
中井を高く評価していた鶴見俊輔が亡くなった。鶴見の死を戦後民主主義の唱和の中で語る者たちにウンザリしながら、昨年もまた若い人たちと彼の文章を丁寧に読んだ。その中で一つだけ「戦中思想再考-竹内好を手がかりにして」(鶴見俊輔『思想の落とし穴』岩波書店)をあげておく。過ちのない正しい思想を拾い出して唱えることを「死んだ思想だけを賛美する」といい、間違いに対して「間違っていたものは間違っていたのか」という問いを立てる鶴見の言葉への態度に深く頷きながら、嫌な感じが深まる。
昨年は松下竜一の文章も、若い人たちと共に読んだ。それらは、運動と言葉の接点にとどまり続ける松下が残した文章たちである。そこには『豆腐屋の四季』も含まれる。彼の文章は『松下竜一 その仕事(全30巻)』(同刊行委員会編集 河出書房新社)で読むことができるが、「あとがき」や「解説」などがついた文庫版もいい。そして、「オロオロ」と歩きながら言葉を綴り続ける松下の文章から看取されるのは、現実を上手に切り分ける政治的判断ではなく、すべての現実を未完の可能性として語り続ける態度である。
昨年は駒込武の大著『世界史の中の台湾植民地支配』(岩波書店)が刊行された。他者の言葉たちにどこまでも伴走しつづける駒込の粘り強い思考にうたれる。駒込は同書において、暴力に曝された者たちから生きる可能性を言葉として確保しようとする。本数として数え上げられる業績などではない知的営みが、そこにはまちがいなくある。それはまた、誰もが正しいと思う位置に居場所を探す最大公約数的な言葉が横行する今こそ、求められる思考でもあるだろう。
最後に、やはり昨年刊行されたWendy MatsumuraのThe Limits of Okinawa(Duke U.P.)をあげておきたい。歴史は今を問題化する。だが、今の政治の文脈で多くの人々が沖縄に言及する一方で、この地に刻まれた歴史を語る者は極端に少ない。それは沖縄がそれ自体として語られるのではなく、今の政治を語る材料としてピックアップされている証左でもあるだろう。なぜ琉球処分や旧慣期、あるいは宮古島人頭税廃止運動や大宜味村政改革運動が研究されたのか。なぜ沖縄において資本主義が問題なのか。同書は、沖縄歴史研究が担おうとした夢を、誠実にそして批判的に継承しようとしている。そこにあるのは、流行でもなければ学界動向でもない研究態度である。(『みすず』2016年1・2月)。
私にとって火曜会は、この審議性にかかわります。また付け加えるなら、自らの毎日の日常の中で、この審議性あるいは現実を未完の可能性として開く作業がないところで、いかなる政治もまた知の営みもないという思いを、最近強くしています。そういう意味でも、多くの日常の時間を費やしている大学という場所の事を抜きに、審議性を考えることは出来ません。
主任会、教授会、部長会、評議会、研究科長会、二つの研究所委員会、高等教育機構委員会、さらにあと4つ会議が私にはあります。昨年の秋から今年の早春にかけて、こうした教員たちの会議の文脈で、火曜会のことを考えていました。昨年から今年の春にかけて、こうした場で私が最初の発話者として議論すべきことが続発しました。いつも火曜会の最初に火曜会という場について考えていることを、自分のための備忘録のように記すことが習慣になっているのですが、昨年の秋から今年の早春にかけては、こうしたこれまであまり考えなかった教員たちとの場とのかかわりの中で、火曜会を考えたのです。言い換えれば次第に火曜会にいる自分と教授会でのそれが併置されだし、そうであるが故に浮き上がる後者の情けなさを感じたのでした。
審議ができない教員たち。結論的にいえばそういうことなのですが、もう少し注意深くいえば、自らの言葉を、正しさにおいて主張するのではなく、自分たちと自分たちの場所を新たに構成するための言葉として確保することのできない教員たちということです。結論が既に見えている議題を、別の結論になるかもしれないという可能性に向けて何度も発言しなければならない場面がありました。またその可能性こそが審議ということだと考えています。しかしやはりあらかじめ予定された結論は変わりません。そしてこうした発言への予定を変えたくない保身的応答あるいは無視を目の当たりにして、「審議ができない教員たち」と思った次第です。しかし今こうした教員評価に論点があるのではありません。そうではなく、変わるかもしれないと思えた未完の現実において確保される言葉の在処というものが、こうした多くの会議をとおして、身体感覚として蓄積されたということを考えたいのです。
今年の3月の初め、あるクローズドのワークシップがありました。ニュースタート関西というNPOとともに私の研究室でおこなったものですが、それは大学という場所についてのワークショップでした。またその会ともすこし関係のある上山和樹さんの文章を、ワークショップの直前に偶然見つけ読んでいました。その上村さんの文章は、「動詞を解放する技法」という多文化間精神医学会が刊行している『こころと文化』という学界誌の最新号(15巻1号、2016年)に掲載されています。昨年夏の「スユノモ」との議論で(「スユノモ」との議論は(http://doshisha-aor.net/place/263/)、私が話した「動詞的思考」との重なりを、まさかと思いながら期待して読んだところ(この「スユノモ」との議論の中で生まれた文章はhttp://doshisha-aor.net/place/366/)、かなりの角度で重なっていてうれしかったです。そしてどちらも要点は、自らを新たに「社会化する」(上山同61頁)プロセスとしての思考や技法に、学知を引き戻す試みということのように思われます。そんなきっかけで、消耗する会議の合間に、上山さんの文章を読んでいたのです。
僕が耐えられるような場所に、この世界を、この自分をという存在を、つくり変えること。そのためには、世界が<現実>であり続けていてはダメだった。この鮮度を何とかしないと。自分という成立を自覚する瞬間が、<現実>の自覚とは別の形で実現してほしかった。だって、耐えられないのだから……。(上山和樹『「ひきこもり」だった僕から』)
これは先ほどの上山さんの文章のだいぶ前に書かれたものですが、ここで述べられているのは、既存の言葉の秩序において前提とされる現実からはみ出している自分を、自らが確認することのように思います。そしてそのような自分を大切にしながら始まる事態は、自分も世界も変わることなのでしょう。それは私と私たちを、すなわち自分が内在する世界を、新たに組み直すプロセスであり、このプロセスの中に言葉の在処は、まちがいなくある。またその時の言葉とは、言語的行為として閉じているのではなく、「非言説的行為」と共にある[1]。
ラッツァラートはこうしたプロセスを「自己の構成」とよび、その例としてストライキをあげています。またこの「自己の構成」は、政党政治や議会制民主主義、あるいは数や動員数、票数や「いいね!」とは根本的に異なる、別の政治なのです[2]。いやむしろ、動員数や票数が前面に出る時その前提として想定される共通平面において抹殺されていく可能性なのかもしれません。最初の「読書アンケート」で述べた今の「嫌な感じ」と、審議性あるいは未決の可能性としての火曜会という試みが、ここにつながったように思いはじめています。
Ⅱ火曜会の趣旨(今期が初めての方は、前の第25期の予定もどうぞみてください。http://doshisha-aor.net/place/406/。)
知や知的営みは、私的所有や個人業績(量)において意味づけられるというよりも、また私的所有物としての知を前提にした社会のニーズや社会的影響、あるいは所有者(知識人)による啓蒙ということでもなく、知それ自体が他者との関係性や集合性にかかわる行為遂行的な営みであり、意味作用なのではないか。と、信じてはじまったのが、火曜会なのかもしれません。そして知的な所有者の分配という機構自身が既に保証されていない今、知のあり方自体を変える必要があるとも思います。
またそれは、大学という制度的場所の危機であると同時にその場所が持つ可能性なのかもしれません。火曜会が大学のカリキュラムとしての制度を手放さない理由もそこにあります。今期も、グローバル・スタディーズ研究科の「アジア比較社会論」「現代アジア特殊研究」としてもあります。大学は、職場や会社でもなければ研究所でもありません。学生・院生からみれば明らかに流動系であり、それは人々が行き来する路上にも似ています。制度の中に路上を生み出すということなのでしょうか。しかも言葉において。いま大学で起きている事態は、大学の外に出れば解消できるというものではありません。むしろ大学の内と外という区分を越えて浸透している事態であり、こうした状況においてあえて大学という問いを手放さないということが、「大学という場所が持つ可能性」ということでもあるのです。この制度と共にあり、かつ言葉と知において制度を絶えずはみ出し続けるというところに、火曜会の趣旨を考えるポイントがあるように思います。
Ⅲ形式
書かれたものを丁寧に読むことによる関係性の創出(精読会)と、必ずしも書かれたものに限らない媒体(今それを報告と呼びます)による関係性の創出(討議空間)に分かれます。両者の違いは主として時間性にあります。精読会はやはり一定の継続性が必要になります。対して討議空間は、ライブ感あふれる一回の報告が軸になります。両者が互いに相乗すればいいのですが。
そのことについては、前述したスユノモで報告した文章でも考えましたので、参照してください(http://doshisha-aor.net/place/366/)。またさらに「視る」ということについても議論ができればと思います。これについては竹村和子さんについて考えた文章をよければ読んでください(http://doshisha-aor.net/place/365/)。そこでは「引用」と「再演」の重なりを考えています。
Ⅳ討議空間の報告について
それは業績報告や啓蒙の場ではありません。論文執筆や学会発表ののちの報告というより、そのプロセスを共有することを考えてください。伝達することが報告ではありません。ただの伝達には共通平面がある意味無自覚な暴力性を持って前提とされています。「○○のことは××なら当然知っているはずだ」的な態度は、やはりレッドカードです。複数の「××」、すなわち既存の集団所属が別物に変わっていくための討議なのですから。集団性の追認あるいは保身ではなく、新たな集合性の創出がポイントなのです。またこのことは精読会でも同じです。報告は、共有するために、いろいろと工夫をしてください。
とりあえず丁寧な説明と時間をかけること。議論の時間規制において排除してきた人や事柄を、蘇らすことが大事なのです[3]。それは精読会でも同じです。またあらかじめテキストがない討議空間の場合、こうした丁寧な説明と時間のためにも、報告という媒体を担おうとする者(報告者)は、一週間前には不十分でもいいですからアナウンスをお願いします。また読むべき文章等も原則一週間目には配布してください。手間をかけること!
また討議空間は場です。単なる報告が伝達でないように、自分の報告の為だけにあるのではありません。場を集団で確保し続けるという集合的な行為群自体が討議なのです。報告者ではなくても参加することに意義があるのです。そこにいるということが、重要なのです。
Ⅴ精読会について
議論の継続性が必要となる精読会には、とりあえずメンバーシップがあります。文章をあらかじめ読んでくることと、原則的には継続的に参加することです。
Ⅵ火曜会複合体、あるいは議論を継続させるための身体レッスン
(1)通信
これまで何度も通信を試みてきました。そして素晴らしい文章もたくさんあつまりました。通信については、(http://doshisha-aor.net/place/190/)。またその文書たちを、順次<奄美―沖縄―琉球>研究センターにある「場」(http://doshisha-aor.net/place/)の「火曜会」のところに、蓄えてられています。既に書かれ通信もここにあるのでご覧ください。
(2)別動火曜会と火曜会特別編
以前川村邦光さんの『弔い論』を読む会が、最初の一回と最後のしめの回を火曜会として行い、その間は別動の会として永岡さんを中心に継続的に行われました。あるいは昨年の夏には、増渕あさこさんの報告、12月には藤井たけしさんを囲む場を特別編として行いました。時間が変わることで不断参加できない人たちも集まりました。こうした特別編も考えましょう。それは、空間の拡張かもしれません。あるいはどこかに出向くことも、考えてもいいかもしれません。第24期25期にいたゆんよいるさんと、そんな話をしていました。
(3)火曜会アーカイブ
火曜会通信のところでも述べましたが、<奄美―沖縄―琉球>研究センターのホームページに火曜会アーカイブの場所を設定しています。火曜会にかかわる文書で、公表してもいいものはここに蓄積しようと思います。(http://doshisha-aor.net/place/)。まだこうした装置が、言葉において空間を構成してく作業においてどのような意味を持つのか、私にははっきりしませんが、アーカイブはやはり必要です。
Ⅵ今期スケジュール
紹介文は私が勝手に書きました。ご容赦ください。あらためて一週間前にそれぞれの担当者がアナウンスしていただければと思います。またまた自分の報告だけ参加するということは原則避けてください。それは場所を確保するという事における学びや協働の問題です。
4月27日 討議空間
映画「八月十五夜の茶屋」をみる
案内 佐々木薫
1956年につくられた映画です。米国統治下の沖縄を舞台にした映画で、マーロン・ブランドが演じる「サキニ」に批評の焦点がしばしば据えられ、映画の見方が既に出来上がっている感があります。しかしそうではないと思います。私もかなり前に一度見たことはあるのですが、冷戦、民主化、占領、自治、法、地域研究そして複数のセクシュアリティが複雑に折り重なっている映画だったことを覚えています。こうした重層的な文脈をみながら、この映画を丁寧に議論ができればと思います。また佐々木さんの考えを聞くのも、とても楽しみです。さらに、映像をみて考えるということがどういうことなのかといったことについても、みなさんとゆるゆる話ができればいいですね。
5月11日 討議空間
国民化とセクシュアリティ
―マレーシアにおける「女性性器切除」―
報告者 井口由布
井口さんは、マレーシアの研究者であると同時に、『想像の共同体』、『言葉と権力』などの作品を生み出したベネディクト・アンダーソンの研究者でもあります。そんな井口さんが、今考えていることを話されます。楽しみです。「マレーシアにおける」という副題にこだわりながらも、きっと地域研究に収まらない広がりのある議論が生まれるに違いありません。よろしく!
5月18日 討議空間
ドキュメンタリー「激突死」(森口豁 1978年)をみる
案内 木谷彰宏
沖縄の基地の街であるコザで働いていた上原安隆さんは、沖縄の日本「復帰」から一年たった1973年5月20日、ナナハンにのり、猛スピードで国会議事堂正門に体当たりして亡くなられました。享年27歳でした。このドキュメンタリーは彼を描いたものです。映像から多くの感情が引き出されるのではないかと思います。また木谷さんがどのような言葉をそこに重ねるのか、ワクワクします。
5月25日 討議空間
韓国-フィリピン間のトランスナショナル領域の再構成と女性の移動
報告者 李定恩
移動は、Aという国とBという国の間の動きとしてしまうと、その移動においてはいつもこのAやBという国が動かしがたい前提となり、追認されることになるでしょう。私はこの追認を、逆方向に広げてみたいと思っています。言い換えれば移動の見方を変えることは、この追認された前提を別の領域へと変えていく契機でもあるのです。そして家事労働や国際結婚などドメスティックな領域に抱え込まれている移動の痕跡を描きなおすことが、この契機を確保することになるのかもしれません。
6月1日 討議空間
第一部 明確な黙示録
―戦後引揚げとなかにし礼の「赤い月」―
報告者 ニコラス・ランブレクト
ある場所での生を、既にその破局と場所自体の喪失を知りえている位置から語るとすれば、その生はいかなる経験として言葉になるのでしょうか。戦争体験が戦闘の体験ではなく、避難と引揚げにおいて語られるとき、戦争は決してある場所やある時間に囲い込まれた出来事ではないのかもしれません。永遠に終わらない引揚げ、そして戦争。また、「赤い月」は私は映画でしか見ていませんが、なかにし礼にとってこの『赤い月』(2001年)を書くことの意味は何だったのでしょうか。ニコラスさんとともに読みたいと思います。
第二部 家事労働の持つ可能性
報告者 姜喜代
家事労働は、女性のグローバルな移動の焦点になっています。他方で家事労働はドメスティックで土着的で私的な領域と考えられています。グローバルでドメスティックな領域。それを単に、私的領域と公的領域の分割、あるいは家事労働をめぐる家父長制と資本制として整理してしまうのではなく、また搾取という言葉で片付けるのでもなく、この移動する女たちにとって家事労働とは一体何かという問いから始める必要があるのではないでしょうか。またドメスティックでグローバルな場所にとどまる身体が、何を経験として獲得するのでしょうか。フィリピンを離れた女たちの経験を凝視し続ける、姜喜代さんの報告です。
6月8日 精読会
森宣雄『戦後沖縄民衆史』(岩波書店 2016年)を読む
今期は一気読みの精読会ばかりです。森さんの出来たばかりの本を議論しましょう。本人と共に。今期の最初に森さんが、人が泣くということにこだわっていると話されました。この本はきっと多くの「泣く」という動詞が詰まっているのかもしれません。この動詞を読み出してみたいと私は思っています。また作者がいる場所で書かれた本を議論するときに陥りやすい、作者に尋ねるといったパターンにならないよう、読んで行きたいと思います。
6月15日 討議空間
○○人になるということ
報告者 篠原由華
○○人とはまずは、命名によるのでしょう。またその命名には制度があるでしょう。そしてその制度は、統治ということの中で構成されるのでしょう。ですが統治は制度ではありません。すくなくとも統治には、「国家の非合法性」や「例外状態」とよばれる制度には還元できない力が、すなわち暴力が存在します。そしてだからこそ統治において命名の制度は不断に再構成され続け、命名もまた更新され、変更され、混乱するのでしょう。護照はこの痕跡を一身に引き受けているのかもしれません。護照に刻み込まれた歴史を、丹念に描き出そうとしている篠原さんの報告です。
*
映画「絞死刑」(大島渚 1968年)をみる
7月6日の高恩美さんの報告で議論するために、篠原さんの報告の後、みんなでこの映画をみておきましょう。映画をみるという経験が、単体のテキストをみるということではないとするなら、共にみる、あるいは集団でみるということが、このみるという経験の領域に間違いなく入り込んでいます。つまり、ひとりDVDでみることと共にみることは、やはりみる経験が異なるのです。私もまだ「絞死刑」をみていません。この日に皆さんでみるのを楽しみにしています。
6月22日 討議空間
ひとの悲劇ということ
報告者 沈正明
他人、あるいは自分が「所属」していない共同体や集団、生活していない場所、いわゆる外国などの災害や被害の記憶を、「連帯」ということで考えるのでもなく、当事者にしか分からないというふうに言ってしまうのでもなく、簡単に普遍化するわけでもなく、自分のものとして考えることができるだろうか、と沈正明さんは問いを立てています。悲劇を前にして、あるいは人の痛みを前にして、多くの人は正しい結論に飛びつこうとします。しかし悲劇に結論を付加することは、多くの場合悲劇の縁取り、あるいは囲い込みなのかもしれません。こうした思考停止に陥ることなく、悲劇を考え続けようとする沈正明さんの報告です。急がず、ごまかさず、とことん議論したいと思います。
6月29日 精読会
安丸良夫を読む
案内 りえ
歴史総体に対する問題提起を見失うことなく、個別具体的に歴史を描き続ける人が、また一人いなくなりました。余り議論されていないことですが、安丸さんは、日本の民衆運動史研究においてフランツ・ファノンを参照した先駆的でまた稀有な人です。それもアイデンティティ―ではなく暴力論の文脈において。すなわちだれしも第三世界革命の文脈でファンを読んでいた時期に、彼は江戸末期の農民一揆にファノンを見出していたのです。以前そのことを本人からゆっくりと聞く機会があったのですが、その時の彼の返答はよく覚えています。「私はサルトルからファノンに出会ったのだ」。またサルトルの『弁証法的理性批判』が自分にとって重要だったとも。サルトルを経由したファノン。ファノンを読むたびに自分の位置がつきつけられる思いをしていた時、私もサルトルの存在をたびたび考えていたことを思い出します。竹内さんがどのように読まれるのか楽しみです。何を読むかはまた連絡があります。
7月6日 討議空間
第一部 大島渚の映画にあらわれる「在日」イメージについて
報告者 高恩美
大島渚の映画を考え続けている高恩美さんの報告です。予定では、6月15日にみた大島渚の「絞死刑」(1968年)をめぐって議論をします。この映画の前年の1967年には、大島は「日本春歌考」も発表しています。在日韓国・朝鮮人にかかわる多くの作品を作り上げた大島ですが、映画としての大島渚の映画の技法や文法のみならず、1968年という時代にも注目したいですね。また、きっと「在日」イメージということに、死刑あるいは保安処分といった問題が重なり合っているのではないかと想像しています。議論しましょう。
第二部 なぜ沖縄労働運動史なのか
報告者 古波藏契
沖縄の60年代は、「復帰」運動が72年に向けて高揚していく時期では、ない。すくなくとも、72年にすべてを収斂させていくような議論だけではないはずです。にもかかわらずキチンと考えられてこなかったのではないか。「復帰」後の沖縄を考える時、この認識論的欠落が、いつも亡霊のように回帰し別の問題として登場しているように思えます。この亡霊の在処をきっちりみようとする古波藏さんの報告です。60年、膨大な通貨量を誇るドル圏にはいった沖縄は、ある意味で世界規模の金融資本を軸とした蓄積運動に、一気に巻き込まれていったのかもしれません。またそこでは、誤解を恐れずにいえば、総資本対総労働ではなく、今日的な労働運動が突然要請されたのかもしれません。労働の問題を全軍労や教職員会ばかりに限定してきたこれまでの戦後沖縄史を、再検討することになりそうです。
7月13日 討議空間
第一部 帝国崩壊後の植民
報告者 番匠健一
「人はあわてた時に正体をあらわす」。中島みゆきのある歌に出てくる歌詞の一部です。それは既存の枠組みが壊れた時こそ、その枠組みで生きてきたプロセスが顕在化し、経験として内在化されるということなのかもしれません。あわてないと正体がわからない。その経験は後悔や恨みかもしれませんが、新たな喜びの発見や自己肯定になるのかもしれません。帝国の経験は帝国崩壊後に残存するのではなく、また継続するのでもなく、経験として内在化されるではないでしょうか。そして帝国において植民地に移り住んだ人々は、その経験を崩壊後いかに内在化したのでしょうか。「帝国崩壊後の殖民」。
第二部 花森安治と日本の暮らしを考える
報告者 西川和樹
塾で働く時以外は(大人気の先生です!)、朝、あの朝ドラをみて、昼、図書館で『暮らしの手帳』のバックナンバーをなめるように読み、ノートを取り、記載にある料理レシピや料理のコツを夕食で実践する西川さんの報告です。昨年亡くなった鶴見俊輔さんは、池田浩士さんとの対談で、「台所からみれば1945年の8月15日で歴史が切れていない」といっていました。戦後を考える際、この問いをいまだに問題化できていないように思います。また、西川さんも含む院生のみなさんとで読んだ、小碇美玲さんの本(Cold War Encounters in US-Occupied Okinawa)からも、ドメスティックな領域、すなわち「暮らし」ということが、いかに新しい帝国の統治にとって重要だったかわかります。「暮らし」の楽しさ、怖さを議論しましょう。
7月20日 討議空間
第一部 沖縄の復帰後、「沖縄問題」はどのように問題化されたのか
報告者 大野光明
今沖縄が語られる機械はとても広がっています。しかし語ること自体の前提として、いつも復帰後強固に構成された「沖縄問題」とよんでいい認識枠組み、あるいは正しい意味での言説すなわち文字通り言葉の秩序としての言説が、当たり前のように横たわっているように思います。大野さんは、この認識や言説を、批評理論的において批判するのではなく、それを場において問い、浮き上がる出来事を運動において引き受けようとしているように思います。「沖縄問題」はどのように問題化されたのか、そしてそれを大野さんはどのよう場において問いなおそうとしているのか。楽しみです。
第二部 再軍備と文学
報告者 福岡弘彬
戦後日本の再軍備は1950年から始まっています。この再軍備にかかわる戦争の予感を、文学はどう受け止めたか。それは、乱暴にいえば、戦争の是非や憲法問題ではまったくないでしょう。また文学者の政治参加という、アホみたいに切り縮められたサルトル問題でもありません。さらにまた、ベトナム戦争と文学ということにおいてに存在した、どこか別の場所での戦争という距離感もないでしょう。それは、既に自らの足場に到来している圧倒的な廃墟を前にして始まった言葉の問題が、再軍備という廃墟の予感にかかわる言葉の問題と重なり合っていく事態なのかもしれません。福岡さんはデカダンスに、徹底的にこだわります。私には福岡さんのデカダンスが、動かしがたい現実を未決の未来へと開く身構えのように思えます。廃墟に立ちつくしながら廃墟が予感される時、文学は何を記すのでしょうか。それは今必要な想像力の問題かもしれません。密度の高い福岡さんの報告とともに、がっちりと議論しましょう。
7月27日 討議空間
第一部 切れてつながる
―「ともに」生きていくこととしての運動(へんてこな家族の行方を中心に)―
報告者 小路万紀子
時々家族というのは驚異的な関係だと思うことがあります。それはうまくいくとかいかないという問題ではありません。というか、もし簡単にうまくいくと考えるならそこには様々な強制や暴力が前提にされてしまうことになるように思います。また難しさは、「ともに」生きていくということにかかわる関係を担いつづけることに関わります。そしてそれは当たり前のことですが、家族と呼ばなくてもいいでしょう。あるいはこういってもいいかもしれません。「共生」ということがよくいわれますが、家族と呼ばれ領域について議論がなされない限り、表層的な議論なるということです。楽しみです。(この報告は変更になり行われていません)
第二部 まなざしの変化が生み出す〇〇人
報告者 安里陽子
「〇〇にみえる」。そして「〇〇にみせる」。みえるのは、そしてみせるのは、身ぶりであり、表情であり、日常生活であり、服装であり、…。だからそれは問答無用の攻撃、すなわち暴力であると同時に、体を張った闘いの舞台なのかもしれません。接近戦の闘い。あるいはそれは、「傍らにいるが既に他人事ではない」という経験の領域なのかもしれません。他者を論じるのではなく、傍らにいる存在を目撃するわけです。だからこそまなざしが生み出す〇〇人には、接近戦の記憶と目撃者としての経験が刻み込まれているのかもしれません。それを丁寧にたたみ広げてみたいと思います。シンガポール<の>プラナカン、フィリピン<の>メスティーソ、石垣島<の>台湾系住民、この<の>は「〇〇人」を定義する力、すなわち「〇〇にみえる」ということを定義する全体集合のようにも思えます。ですが「〇〇にみせる」側からひっくり返してみましょう。プラナカンのシンガポール、台湾系住民の石垣島。そこでは客地に生きるという繋がりが、浮かび上がるのかもしれません。
Ⅶその他
6月にはヴィクトリア大学から遠藤克彦さん、9月にはトロント大学から鄭信赫(Jung, Sinhyeok)さんがきます。また5月には姜文姫さんがパーティーとともに。
[1]私も、言語行為と状況構成的な営みを言葉に還元せずに考えようとした。昨年8月の朝鮮大学校(光州市)での報告、冨山一郎「言葉の停留と始まり―語れないことと語らないこと」(http://doshisha-aor.net/place/407/)も参照されたい。
[2]マウリツィオ・ラッツァラート「現代の『経済危機』とは何か―フェリックス・ガタリの『主観性の生産』という概念から考える」杉村昌昭訳『現代思想』41-8、2013年。
[3]ただそれを出来うる限り拾う役が必要になるようにも思います。それはある種の徴候を見るあるいは聞き取る役であり、徴候を代弁し審議にのせる役であり、それはありえなかったことを強引に登場せしめる力の行使のように思います。『みすず』の「読書アンケート」でとりあげた中井正一の「委員会の論理」には審議性の他にもう一つ重要なことが述べられています。それは技術的な目的性ということであり、その延長線上において語られる代表性です。討議の要点は審議性とともに、代表制において語られているのです。それは、討議による集団を、構成というある目的性においても設定するというのだ。そこでは代表性は不断に構成するというプロセスに置かれており、さらにこのプロセスは計画された道筋ではなく、絶えず新たな展開に向けて開かれ続けています。いわば「技術的時間はいずれの瞬間もが出発点」であり、中井はそれを「原生産的現在性」とよぶ。その出発点はまずは代表性と力の行使において確保されていると思います。